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2014年12月31日

19回目の1日目…キエフ再び

summary :
31 December 2014,
1st day of the 19th trip.
back to Kiev, Ukraine, via Paris by airplane.


2008年以来 続けてきた 大陸横断の 旅も
中央アジアで やり残した 空白部分を 前回で 穴埋めして、
これで もう 旧ソ連地域に 思い残すことは ありません。

政変以来 とんでもないことに なってしまった ウクライナ情勢は 
まだ 落ち着く 気配を みせませんが、
戦闘状態は いまのところ 東部方面。
西側の ポーランド方面に 抜ける分には 
問題なさそう、と 判断して
ウクライナ 最後の 旅に 出ることに しました。

さて。
2014年12月は 急な 総選挙などで あわただしかった せいも あって
今回の 冬休みが きまったのも 急で、 12月中旬に なってから
31日から 1月4日までが 休みと いうことに。

おかげで チケットを とるのも 大急ぎ。
本当は 17回目の 終点 リヴィウから 
ポーランドの クラクフに 抜けたかったのですが、
どちらも 地方都市なので 飛行機の 便が あまり よくない。
しかたないので 首都から 首都へ。
キエフから 一気に ワルシャワまでの 汽車旅に 決めました。

19回目の1日目…キエフ再び日程に 余裕が ないので
鉄道の チケットは
日本から ネットで 手配しました。

旧ソ連の 外に 出る チケットは
ウクライナ国鉄とか
これまで 使ってた 
旧ソ連専門の 業者さんの
ホームページでは 
扱っていなかったので
ネットで いろいろ 
検索して みつけた
「ヨーロッパ鉄道チケットセンター」(http://www.railstation.jp/)さんを
通じて 手配しました。
ワルシャワまで 通しの 寝台券と、
ウクライナ領内 および ポーランド領内の 乗車券の
3枚つづりです。 

19回目の1日目…キエフ再び飛行機は 羽田からの 日本航空で、
行きは パリ乗り換え。

少しずつ 西に 
向かうはずの 旅が
いきなり 東欧を すっ飛ばして
フランス乗り換えなんて
この 旅の 趣旨から すると
すこし 居心地悪いです。




19回目の1日目…キエフ再びロシア領内から いったん
東欧上空を 通過して 
パリまで 飛ぶのかと
陸路旅行者な 発想で 考えていたら、

飛行機が たどったのは
沿海州から ひたすら 北上して 
北極海沿岸から 北欧を 横断する 
空路ならではの ルートでした。
写真は 窓から 見下ろした
沿海州の 山並み。
「デルスウ・ウザーラ」で 
描かれた 自然が 
いまでも 広がっているのでしょうか。

19回目の1日目…キエフ再び
パリ、シャルルドゴール空港。

ここから エールフランスの
キエフ行きに 乗り換えます。

モスクワ乗り換えと 比べて
遠回りな ぶん、
時間は よけいに かかって
キエフ着は 現地時間でも
日付が 変わるころ。

ウクライナの お金は
全回 使い残した 420フリヴニャが 残っていますが
空港から 市街地までの バスが あるとは 思えないので
100ドル 両替してみます。
1610フリヴニャに なりました。
あわせて 2030フリヴニャ。
これだけ あれば 何とかなる。

ところが そういう時に かぎって
白タクの 客引きも みかけない。
外に 出てみると、
右手に バスが ちゃんと 待っています。
ヴァグザール(駅)? と 聞くと、
ちゃんと 中央駅まで 行ってくれるとのこと。
バス代 50フリヴニャ、
いくらなんでも 地下鉄は ないだろうから
そこから タクシーで ホテルまで 行きますか。

19回目の1日目…キエフ再びうそでしょ。

午前1時を 過ぎてるのに
地下鉄駅、開いてました。
すごすぎるぞ ウクライナ。

地元の 人に
確認したわけでは ないけど
いくらなんでも これは
元日だからの 特別営業でしょ。
キエフ到着が 真夜中に 
なる かたは
今回の 例を 
あてに しないでくださいね。

車内は わりと 人が いっぱい。
例の マイダンに 近い
フレシチャーチク駅で おりると
真夜中なのに けっこう 人が 出歩いてました。

1年前に 降り立ったとき
車道を 封鎖していた バリケードも
その なかの テント小屋の 熱気も
独立記念塔の 下で ふるまわれていた 紅茶も
いまは もう 当然ですが ありません。

19回目の1日目…キエフ再びマイダン・ネザレジュノスチ、
独立広場から
今夜の 宿、
ホテルウクライナへの 坂道には
あのあと 命を おとした 
人々を 追悼する 
花束や 写真や
十字架や 石碑が
並んでいました。

1年前に この 広場を
ひやかしたとき
そこに いたか どうかは
わかりませんが
少なくとも そのときには
まだ 生きていた 人たち。 

ウクライナ万歳、英雄万歳、との
スローガンが どこかに 描かれているのが、
命を 落とした 人たちを たたえつつも
きつい いいかたを すれば
どこかで 利用しているような 気配が かすかに 感じられて、
なんか やりきれなさを 感じずには いられませんでした。

とりあえず ホテルに チェックイン。
ワルシャワ行きは 中央駅を 15時52分に 出るので
それまで キエフ市内を 散歩して すごします。

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Posted by わたなべのもと at 23:59│Comments(4)back to Ukraine
この記事へのコメント
12月31日出発だったのですね。羽田発パリ行のJALは新型の座席だったのですね。座席の間隔が広くなっていて快適だったかと思います。いきなりパリまで行って逆戻りとは変な感じがしないわけでもないですね。キエフ到着後、ないと思っていたバスと地下鉄に乗れてラッキーでした。地下鉄はいつも夜でもあるのか、12月31日だったからなのかが気になりますね。前回はデモがあって、今回はその犠牲者の墓があるとは、激動のなかを旅してる感じで見ています。確かに一連の騒動でロシアがそれをうまく利用している気配がなんとなくしますね。デモをした側とか犠牲者の中にもスパイとかいたのかもしれませんね。まさかクリミアをとってしまうとは思いもしませんでしたよ。今度韓国にいらっしゃる計画があればぜひ教えてくださいね。時期が近ければ予定を動かしますので。以前教えてもらった卵焼きの店とかつれていってください。
Posted by とんび at 2015年01月15日 06:46
とんびさん お久しぶりです。
パリまでの 日航機は わりと 楽でした。

本来は リヴィウからの 再開に したかったのですが
乗り継ぎ地での 一泊が 必要なのと
あのあとの キエフを 一度は 見てみたかったのの ふたつで
今回は こういう ルートに なりました。

1年前は バリケードの 中に 
誰何されることもなく 通行人として 
すんなり 入れてしまったことからして
いろんなことは あったろうな、と 思えて なりません。
Posted by わたなべのもとわたなべのもと at 2015年01月17日 14:25
いつものことながら、ハードな旅ですね。

キエフ到着が元日で良かったですね。人で賑わっていると、どんな異国でもホッとしませんか?旧ソ連圏を旅をしていると、今まさに歴史が動いていると実感されるでしょう。

私も、スケールは小さいですが、元日に千葉の香取神宮に行ったら、普段はない無料リムジンバスがあって助かりました。こちらは、あまりにも過去すぎて、しかも混雑し過ぎていて、何も考えずほうほうの体で帰ってきました。
Posted by ろうま at 2015年01月18日 21:00
ろうまさん 今年も よろしく お願いします。
今回は 到着が 真夜中だったので 
人で にぎわっているのは 安心できました。

鹿島神宮は 行ったこと あるのですが
香取神宮は ないんですよ。
やっぱり 初詣は どこも 混みますね。
Posted by わたなべのもとわたなべのもと at 2015年01月19日 12:16
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