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2015年01月02日

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに

summary :
2 January 2015,
3rd day of the 19th trip.
arrived to Warsaw from Kiev by the train.


19回目の3日目…フリヴニャからズウォティにウクライナ時間から 
時計の 針を 1時間 戻して
ポーランド時間で 
朝の 7時半過ぎ。
ワルシャワ中央駅に 到着です。

ここから 先の ヨーロッパは
シェンゲン協定という 
とりきめで、
陸路を 移動するさいにも
国境審査が ないそうです。
これまで 国境越えで 
さんざん 時間や 手間が
かかってきたことを
思えば 別世界です。

とりあえず、もう 使い道の ない ウクライナの 通貨 フリヴニャを
ここ ポーランドの ズウォティという 通貨に両替しなくては。

両替所は 
駅の 構内に ありました。
1616フリヴニャが 177.76ズウォティ。
両替所に 表示されていた レートが
1フリヴニャ=0.1100/0.2700ズウォティと、
買いと 売りとの 差が 倍以上です。

ここで 1年前の 記録を 読み直してみます。
今回 空港での 両替で 100ドル=1610フリヴニャの ところ、
昨年1月13日の キエフ駅では 200ドル=1605フリヴニャでした。

さっきまで 旅していた ウクライナが
とんでもないことに なっているのを
いまさらながら 実感します。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティにワルシャワ中央駅の 駅舎です。
もう キリル文字は ありません。

ワルシャワは いちど、
2002年に 
来たことが あります。

そのころと 変わらないのか
そのころから 駅前に 
高い ビルは 
いっぱい 建っていたのか
ちょっと 思い出せません。


19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに駅の 北側に ある
文化科学宮殿とかいう 建物。
むちゃくちゃ ソ連っぽい。
あきらかに、
東側陣営だったころの 名残です。

荷物だけでも おかせてもらおうと
ホテルに 行ったら
チェックインさせてくれたので
荷物おいて 一息ついてから
ワルシャワの 街を うろつきます。

ネットで いろいろ
検索するかぎりでは
ポーランドの 経済は
いまのところ 好調らしく、
そのせいか キエフよりも
街の 雰囲気が 
明るいような 気が します。






19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに「地球の歩き方」の
地図によると
大統領官邸だそうです。
銅像の ちかくに
「連帯」の モニュメントと
おぼしき 何かが
出ていました。






19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに同じく 地図に よると
クラクフ郊外通りです。
駐車中の 車の 1台に
人が なんとなく
集まってるので
見に 行ってみます。









19回目の3日目…フリヴニャからズウォティにカラフルに 塗られてます。

よくみると、

トラバント、
と 書いてあります。

あの。
東ドイツ製の。
冷戦時代の 遺物、じゃなかった、
歴史的モニュメントのような 車。

いまでも 実生活に
使っているのでしょうか。
なんか 窓に
フェイスブックの アドレスが
貼ってあったから
趣味で やってるのかも しれません。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに昔の ようすを
描いた 絵と
いまの 街並みが
くらべられる ところが
この 道には
何か所か あります。

陳腐な いいかたですが
ほんとうに
絵に なる 景色です。




19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに
まっすぐ 行くと
旧王宮に つきあたります。

ここは カトリック圏なので
正教とは ちがって クリスマス自体は 終わってるはずですが、
ツリーは まだ 残っていました。

王宮が 開くのは 午前10時からなので
それまで 旧市街を うろつきます。
 
19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに旧市街の 街並みです。
世界遺産に 指定されています。

こじんまりとした 風情。
石畳。

ぶらつくには
ちょうどいい 感じです。





19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに焼き物の おみやげとか。












19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに琥珀とかの ショーウインドー。
琥珀は 
バルト海で とれるんだとか。










19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに人魚の 像の まわりが
屋外スケートリンクに 
なっていました。
大陸の 乾燥した
気候の せいか
雪こそ ないものの
けっこう 寒いです。






19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに洗礼者ヨハネ大聖堂。
かつての 国王と
縁が ふかかった
教会だと いいます。

中の 壁に かかった プレートに、
LEOPOLIS SEMBER FIDELIS と
書かれていました。
ラテン語の ようです。
その 下には ポーランド語で
OPLETOM LWOWSKIM RODACY。

レオポリス。
ルヴォフ。
1年前 訪れた
ウクライナ西部の リヴィウの ことです。

ウクライナ人にとって
第二次大戦まで 一度も
ロシアに 屈したことのない
ウクライナの 拠点は、

ポーランド人に とっては やはり、
かつて ポーランドだった 
場所なのでしょう。

さっき 離れたはずの ウクライナが
こんなところに 顔を のぞかせるとは。


19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに教会の 中に
ユニークな かざりつけが
いくつか ありました。

市内の レストランが 
寄進したのでしょうか、
ペンネで できた 
聖家族です。







19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに王宮に 入ってみます。
入場料 一般 22ズウォティを
国際学生証で 15ズウォティに。

放送大学に 学費 おさめて
正式に 大学生の 身分なんだから
少しくらい 学割で
もと とらないと 損です。






19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに王宮内部です。

けっこう 豪勢です。

どうも ポーランドというと
ドイツとか ロシアとかの
周りの 強い国に
国土を 分割されて
ふみみじられた 気の毒な国、
という 印象が 強いのですが

最盛期には 
バルト海から 黒海までを
勢力範囲に おさめた
中東欧の 大国だったようです。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに1791年に 制定された
ヨーロッパ初の 成文憲法、
だそうです。

地主たちの 力が 強かったのか
上院と 下院が あったりして
ポーランド王国というのは
案外 今風な 国の 形を
早いうちから 整えていた、
というのが 意外な 発見でした。

それが なんで
周りの 帝国に 
分割されてしまったのかは
歴史の 本でも 読まないと
わからない ことなんでしょう。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティにこんな 壮麗な 王宮も
戦後 再建されたものとのこと。

もちろん ワルシャワ旧市街も。

あらためて 先の 大戦の
すさまじさを 思わずには
いられません。  







19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに昼飯は 例によって
地球の歩き方に のっている
観光客向けの ところに。
だって 地元民向けの
ポーランド語だけの
メニューなんて 
わかりませんもの。

pierogi という 粉食。
英語では dumpling と
ありましたから
ヨーロッパ風に チーズを
まぶしてあっても
やはり 本質的には
大陸の 餃子というか
マントゥ類なのでしょう。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに朝 食べていないので
けっこう 入ります。
これは たしか 
豚肉だったような。

ウクライナに いた時と
さほど かわらないつもりで
ビールも つけて 
満足したところ
3000円近く かかりました。
物価も やっぱり
ウクライナとは ちがいます。

これから ヨーロッパを
旅していくには
いかに 安上がりに すませるかを
考えなくては いけないようです。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティにちょっと 戻って、
聖十字架教会。
この 教会の 柱には
ショパンの 心臓が
うめこまれています。

そういう 名所であるのを
さいわいに ちょっと 
酔いざましに ひと休み。





19回目の3日目…フリヴニャからズウォティにサスキ公園、という
広い 公園には
「無名戦士の墓」が あって、
ちょうど 衛兵の
交替の 時間でした。

ポーランド史に おける
いくつかの 戦いが
無名戦士の墓の 周りに
しるされていました。

ポーランドに とっては
基本的には 祖国防衛の
戦いなんだろうけど、

そのなかに ルヴォフの戦い、という 記述が あったのは
正直 やりきれない 思いが しました。

第一次大戦が 終わり
ハプスブルク帝国が 崩壊した時、
独立を 求めた ウクライナ人の うごきを
新生ポーランドが たたいて
王国以来の 領地を とりもどしたのが
その 戦いだと 聞いていましたから。

思い出せば、
この 旅の 途中、
ウズベキスタンの ヒヴァに 着いた時、
レストランでは 放映されていた
サッカーの 欧州選手権は
ウクライナと ポーランドの 共催でした。

そのときは 特に 会場が どこかなんて
気にも とめていなかったのですが、
いろいろと 微妙な 歴史の 
つながりというか 因縁というかが
ポーランドと ウクライナの 双方に あることの
反映だったのかな、とは 今になって 思うことです。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに少し 南の
ワジェンキ公園、という 
ところに 
161番の バスで
行ってみます。

ワルシャワの バスは
交通カード払いの 機械が
クレジットカードも
受け付けてくれるようで
とりあえず やってみたけど
うまく 機能したのか
それとも 結果的に
無賃乗車に なったのかは
よく わかりません。

写真は 園内にある
ショパンの 銅像。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティにこの 公園は
国王の 夏の 離宮だったそうで
けっこう 広いです。

がさがさ、と 音が するので
何かと 思ったら

これは シカですか?

まったく 人を おそれません。
でも 餌を ねだる そぶりも
これまた ありません。

悠然と 歩いていきました。

19回目の3日目…フリヴニャからズウォティにワジェンキ宮殿。
学割で 10ズウォティ。











19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに
中は そこそこ きれいです。

ただ 王宮の 
学割 15ズウォティと
比べると 
コストパフォーマンスが
よくないのは いなめませんが

そこは 目を つぶりましょう。




19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに池に 面した 離宮。

あたりは すっかり 
暗くなってきました。

そろそろ ひきあげますか。








19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに中心部に 戻ってきました。

電飾に 飾られた
繁華街 「新世界通り」。











19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに大統領官邸も 
ライトアップされています。















19回目の3日目…フリヴニャからズウォティに当然 王宮前も。

ここから さらに 北に 行くと
どこかしらに ユダヤ料理を 出す 店が
あるらしいと ネットで 調べたのですが

もう 遅いし 暗いし 
道も わからないので
それは また 今度と いうことで、

夕食は これまた
歩き方に のっている ところで
無難に すませることに しましょう。
何しろ 今回の 日程は 短い。
あすには もう 
帰らなくては いけないのです。

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Posted by わたなべのもと at 23:59│Comments(0)Poland
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